「30代が聴くロック〜やっぱ自分の踊り方で踊ればいいんだよ〜」
第3回「RHAPSODY / RCサクセション」 03/1/25 at 関家 お:大根仁 さ:薩本紀之(広尾のロック花屋「温花家」社長) 嫁:薩本嫁 |
さ「えー第3回は・・・」
お「え?第3回なの?この間の使うの?」
さ「うん。えーRCサクセション「RHAPSODY」でよろしく」
お「あれ?タバコ変えたんだ?」
さ「うん。あんな甘っちょろいタバコはロックじゃねえなと思って」
お「前、何吸ってたんだっけ?」
さ「「マイルドセブンライト」」
お「で「ホープライト」にしたんだ?」
さ「うん」
お「俺と同じ」
さ「うん」
お「「ホープライツ」っていうユニット名でいこうよ。「ロック中学」改め」
さ「いいけど・・・安易なネーミングだなあ・・・」
お「それより見た?「ニュー・イヤー・ロック・フェスティバル」」
さ「見てねえんだよ」
お「凄かったよ。マジで」
さ「RCは出たことないの?」
お「1回出たことあるような気がするんだよなあ・・・まあ、今回30周年で「コミック雑誌なんかいらない」と「ジョニー・B・グッド」と「決めてやる今夜」をいきなり裕也が歌ってるところをバックにロールで第1回目からの出演者が全部出たのよ」
さ「へえ」
お「第1回目キャロルとかさあ、フラワートラベリンバンドとかさあ、すごい蒼々たるメンツで、どんどん良くなって86年頃がピークで「BOφWY」とか「ARB」とか「アナーキー」とか「松田優作」とかさあ「ビートたけし」とかさあ、その辺からどんどん失速していくんだけどさあ・・・凄かったよ内田裕也、代表的な3曲が全部てめえの歌じゃねえってところが・・・「決めてやる今夜」なんて何で歌ってるのか意味わかんねえよなあ・・・元々ジュリーを拾ってきたのは内田裕也っていうのはあるんだけどさあ・・・でも今年は過去の映像がいっぱい流れてたからさあ良かったよ」
さ「それだけ見たかったよ」
お「「つんく」が意外と良かったんだよなあ」
さ「出てんだ?」
お「今年の目玉は一応、たけしさんと、つんくで」
さ「芝かどっかでやってなかった?」
お「メルパルク」
さ「ああ」
お「でさあ、夜中いい加減もう寝ようかと思ってたらさあ、毎年見ててもうイヤだからさあ、ほとんどもう苦行みたいになってて」
さ「苦行だよなあ」
お「俺、今年見るつもりなかったのホントに。5日だっけ?6日だっけ?」
さ「5日」
お「絶対見ないようにしようと思ってたんだけど、2時くらいに帰ってきてテレビつけたらちょうど内田裕也が歌っててさあ・・・で、後半どんどん知らねえバンドばっかになっていってさあ、途中途中でさあ、いつもの「内田裕也・安岡力也・ジョー山中・桑名正博」っていうものすごい濃いメンツへのインタビューがインサートされててさあ、で、もう寝ようかなあと思ってたらさあ「今年はラップの連中もいっぱい出てくれて・・・」とか言ってて「そうなんだあ」とか思ってたら、そのラップのコーナーみたいになって最初出てきたラッパーがいきなりうちの会社のシゲル君だったんだよ」
さ「すげえなあ〜」
お「「MC仁義」だからさあ、その人。「この日本で1番伝統のあるロックフェスに俺達ヒップホッパーが・・・」みたいなこと言っててさあ、ビックリしたよ。何でシゲル君出てるんだろう?と思って、でさあ、聞いたらさあその4人が一応VIPじゃん?それにここなんか2〜3年「ライジングサン」っていうバンドのボーカルのヒロっていうのがその中に加わってたのよ。「何だろコイツ?」って思ってたらさ、そいつはなんか六本木辺りの・・・なんなんだろ、六本木出身の帰国子女かなんかで、最初ミクスチャーロックみたいのやってたんだけど、その頃なんかジョー山中と知り合ったかなんかで、で裕也さんに紹介されて、で気に入られて「「ニューイヤーロック」を受け継いでいくのはお前だ」って言われてんだって」
さ「知らねえよ」
お「で、シゲル君はそのヒロってやつと知り合いで「ちっと遊びに来てよ」とか言われて行ったんだって」
さ「へえ〜凄いねえ」
お「しかも裕也さん達はカウントダウンが終わると居なくなっちゃうんだって」
さ「どっか行っちゃうんだ」
お「今年はなんか近くのホテルのスイートかなんかとって、そっちで宴会とかやってたらしいよ。「じゃあお前らあと頼むわ」って帰っちゃうんだって。」
さ「ロックじゃないねえ・・・オレも前、見に行ったよ」
お「え?ニューイヤーロック?」
さ「うん。今の「リキッドルーム」。当時「ムーランルージュ」。夜10時くらいから朝5時まで・・・もう出てるのがねえ、めぼしいところで「パンタ」と「シナ&ロケ」くらいでさあ・・・辛かったなあ・・・」
お「「アナーキー」も出なくなっちゃったねえ。裕也一押しの」
さ「うん。毎年出てたのにねえ」
お「出てた出てた・・・じゃあRCの話すっか」
さ「じゃあRC「RHAPSODY」で」
お「中1の時ねえ・・・あ、ちゃんと説明しろよ。ちゃんと録音できてるんだろうなあ?何で俺がこう聞くのか説明しろよ」
さ「・・・ああ、実は今日でRCやるのは3回目です。MDが壊れちゃってね・・・大根がすげー喋りまくったんだけど、「あれ?あれ?」って、何も録音されてなかったっていう・・・そんでもう1回やり直したんだけど、MD壊れてたみたいで、また録音されてなかったっていう、そんで中止になりました・・・だからこれから喋ることは3回目です」
お「ひどかったよ。あれいつだっけ?」
さ「3週間くらい前じゃない?」
お「その時凄い調子よくてさあ、いろんな事がこう、頭の中で構成が出来ててさあ」
さ「ずーっと大根が喋ってたもん」
お「95%俺が喋ってたのに・・・で、ある程度までいったらさあ「あれ?」って・・・」
さ「あれよお、大根んちがおかしいんだよ」
お「ああ、でも家電壊れる人っているんだよ。そういう不思議なパワーを発するときがあるんだよ。ホントに。大竹さんっていうさあ、俺が高校時代スパゲッティー屋さんでバイトしてた時に知り合った、色んな影響を受けている、今千葉でイタリアンレストランを3軒経営してる人がいるんだけどさあ、その人が一人暮らししてるアパートに遊びに行くと必ず家電が壊れてるの」
さ「大根んちもそんな感じだぞ」
お「凄いパワーだったんだよ、その人が。電話壊れてたり、テレビ壊れてたり、ステレオ壊れてたり。行くと必ず何か壊れてんの」
さ「で?」
お「ああ・・・「RHAPSODY」?・・・中1の時さあ・・・ああ・・・3回目だからなあ・・・うちの中学、14クラスあったのよ、特殊学級1クラス含め。4つ位の小学校から集まってくるマンモス中学で、俺12組だったんだけどさあ、なんか全然同じ小学校のヤツがいなくて、で全然友達がいなくて・・・ですぐ後ろの席だった現王園(げんおうぞの)君っていう凄い名前の・・・」
さ「3回目」
お「・・・そいつと仲良くなって、最初小学校の延長みたいな遊びしてたんだけどさあ、ゲーセン行ったりチャリンコでどっか行ったりとかさあ、したら「大根、音楽とか聴かないの?」って、でそん時アナーキーとか聴いてた気がするんだけど、YMOとかさあ、でも何となく聴いてただけでさあ、したら現王園君が「RCサクセションっていうのがいる。すげえんだよ」って。そんで学校に「RHAPSODY」っていうアルバムを持って来てくれたのよ」
さ「学校に持って来ちゃいけなかったんだろ?」
お「そうそう。なんか隠して持って来てくれたんだよ。うちの中学厳しかったからさあ。見つかったらもう取り上げみたいな感じだったんだけど。その頃サッカー部だったからさあ、サッカーの練習終わって、家帰って。で、俺の部屋にはレコードが聴けるステレオが無かったのよ。で、兄貴の部屋行って針を落とした瞬間があれですよ、よく言う「ビートルズを初めて聴いてカミナリが落ちたみたいな衝撃」とかいう・・・それが俺にとってはRCだったという」
さ「俺は「い・け・な・い ルージュマジック」の方が先だったと思うんだよね・・・たぶん」
お「俺が中1の時81年で、「い・け・な・い ルージュマジック」は82年の6月だから」
さ「中2の頭・・・」
お「ああでも、化粧品のCMだったから、たぶん春のキャンペーンのCMソングなんだよ、たしか」
さ「俺は「い・け・な・い ルージュマジック」の方が先で、それで忌野清志郎という人を知ったんだよなあ、たぶん。だからRCは「EPLP」が最初だった」
お「俺は現王園君のおかげでいまだに「RHAPSODY」がベストアルバム・・・ベストアルバムがライブ版っていうのもすごいよねえ・・・あっうまい!これうまいよ!串カツ」
嫁「まいうー?」
お「まいうー・・・「よォーこそ」からだからね。最初チャボが「イエーイ!イエーイ」って言うのね。あれあとでビデオ見てわかったんだけど、そのあとがあったのね。レコードだとさあ「イエーイ!イエーイ」って言ってすぐあとの「オーケイ!カモン、リンコワッショー」だけどビデオ見ると「イエーイ!イエーイ」のあとに「つまらねえ事とかよお、頭に来ることとかよお、あんだろ?」みたいな事言うのね。チャボが」
さ「今のチャボからじゃ考えられねえよなあ」
お「そうそう。清志郎はまだステージに登場してなくてねえ。「そういう気持ちをここで吐き出してってくれ」みたいな・・・アジテーションっていうの?・・・それは見なきゃ良かったなあって思ったけど・・・「オーケイ!カモン、リンコワッショー」っていうのがさあ「リンコワッショー」って小林和生の逆さ読みみたいのなんだけどさあ、俺は「リンコワッショイ」だと思ってたの。「ワッショイ」っていうのが「ロックコンサート・祭り」みたいなそういう「盛り上がっていこうぜ」みたいなことだと思ってたんだよ。」
さ「RCってわかんなかったんだよなあ。そういう「リンコ」とかさあ「G2」とかさあ、そういうセンスが中学生の俺には。何なのか。未だに謎っちゃあ謎だけど・・・」
お「「リンコワッショー」とかは、そのよくある業界言葉とかなんじゃないの?あ、違う確かリンコさんは清志郎と中学の同級生でその頃からそう呼ばれてたんだよ。」
さ「ああー・・・俺、MODSとかさあそういうの聴いてたから、RCってメッセージ性とかそういうの無いじゃん。だから、中学生の俺にはRCの位置付けって10位まであったらさあ、7位とか8位とかでさあ、ずーっとその辺なんだよ。で、年をとるにつれて順位が上がってくるっていう」
お「ああ、君の場合はね。俺はなんかもう「別格」だけどねえ・・・なんだよっ!俺がせっかくこう1曲目からやっていこうとしてるのに。「よォーこそ」からさあ・・・「よォーこそ」なんて自己紹介じゃん。メンバー紹介が歌になってるっていう」
さ「・・・ああ・・・関君の気持ちだなあ、今日は・・・じゃあ2曲目「エネルギーOhエネルギー」」
お「早いよお!・・・そう、なんか訳わかんない事言うじゃん。リンコのこととかさあ「飛行機に乗っかって世界中を飛んでた」とかさあ。そんな訳ねえのにさあ。何言ってんだろっていう。俺は勝手にパイロットだったんだって思ってたよ。パイロット辞めてRCに入ったんだ、とかさあ思ったんだよ。あとジャケットがメチャクチャカッコイイじゃん「RHAPSODY」って。「RHAPSODY」はジャケットにおける格好良さじゃ日本ロック史上最高だと思うんだけどねえ」
さ「そっかあ〜・・・関君のイメージで「そっかあ〜・・・ああ〜わかるわかる・・・」・・・」
お「全然心こもってねえよ」
さ「全然喋ることねえよ」
お「・・・「オイラキヨシローどうぞヨロシク」だからね」
さ「「よォーこそ」の小さい「オ」はそこだけカタカナだしな。意味わかんねえよな。「エネルギーOhエネルギー」も「Oh」だけ英語だしな・・・「キモちE」も「キモ」がカタカナで「ち」がひらがなで「E」が英語・・・」
お「ライナーノーツ英語だからね」
さ「そうだっけ?・・・よく知ってんなあ」
お「当時のキティーの担当者が書いたらしいんだけど、なんかもうワールドクラスだっていう勢いだったんじゃないの?意気込みとしては。俺訳したもん、辞書片手に。あんまたいしたこと書いてねえんだよ」
さ「・・・で「エネルギーOhエネルギー」」
お「え?」
さ「大根いつも1曲目だけなんだよ。エレカシの時も「優しい川」しかやってないんだから」
お「あれはグタグタのうちに終わっちゃっただけじゃん・・・なんか言葉が新鮮だったよね。大げさに言うと理解できない表現があるんだっていうさ。そういうところですよ俺にとっては。あと好きになると雑誌とかも気にし始めるからさ、ちょうど「宝島」が1番RCを持ち上げてる頃で、3ヶ月連続表紙とかあったんじゃないかなあ?・・・お前ホントに話すことねえのな?」
さ「うん・・・だから俺「EPLP」からだからさあ・・・「RHAPSODY」は・・・3枚くらい前だろ?」
お「3枚じゃねえよ。「RHAPSODY」「PLEASE」「EPLP」それで「BLUE」ですよ」
さ「そうだっけ・・・?(雑誌「ロック画報〜RCサクセション」を見る)」
お「合ってますように」
さ「違うよおー「RHAPSODY」「PLEASE」「EPLP」・・・」
お「言ったじゃん。ホラ、俺の言ったとおり」
さ「・・・すごいムキになっちゃって・・・ああーそうかそうか、だから最初友達が「EPLP」にプラス「BLUE」の「ガガガガガ」とか「多摩蘭坂」も入れてテープくれたんだ」
お「え?もうそっちの話に行っちゃうの?」
さ「だから「RHAPSODY」の話がねえんだよ」
お「そうなの?・・・ライブ版だからさあ、スタジオ録音よりクオリティーが低いと思うんだけどさあ、それよりロックコンサートっていうものがあるんだって、こういうところ行きたいなあって思ったよね」
さ「・・・9曲入りっていうところがさあ・・・A面とB面に均等に分かれてないからさあ・・・それが・・・」
お「・・・だって「RHAPSODY」に入っててスタジオ録音してない曲いっぱいあるからねえ」
さ「だからスタジオ録音した曲の方が少ないんだよな」
お「そう「よォーこそ」はまあライブ用の曲だとしても「エネルギーOhエネルギー」でしょ「RHAPSODY」でしょ「エンジェル」もでしょ「ブン・ブン・ブン」もでしょ・・・半分以上だよ」
さ「・・・「久保講堂」ってどこにあったの?」
お「豊島区じゃ・・・あっ違う、霞ヶ関」
さ「野音の近くだ?」
お「うん・・・これは俺の構成の中じゃあとで話そうと思ったんだけど「ロック」って感じしないんだよな、RCの場合は。影響の受け方がもうホントグチャグチャだからさあ・・・まあいいや、あとで。まとめっぽいところで・・・」
さ「いや今言っといた方がいいんじゃねえか?全部言えないで終わっちゃうぞ」
お「そうかなあ・・・現王園君はちょっと変わっててさあ・・・」
さ「ハンチング帽かぶってんだろ?」
お「そうそう、放課後ゲーセンとかに行ってもさ、RCの中でもリンコの格好してくるの。親父のでっかいサングラスとかさあ、母ちゃんの白いハンチングとかさあ、皮の。あと「PLEASE」で「ダーリンミシン」っていう曲があって「僕のお正月の赤いコールテンのズボンが出来上がる」っていう歌詞があるんだけど、それに影響されて赤いコールテンのズボンはいてたからさあ」
さ「すごいなあ」
お「キチガイだよ。そんなのがチャリンコ乗って来るんだぜ。想像してみてよ、中1で白い皮のハンチングにでかいサングラスにピンクのジャケットで赤いコールテンのズボンはいてゲームセンターに来るっていう・・・中1よ。13才くらいよ」
さ「千葉の田舎の中学生が国立文化を取り入れちゃったんだ・・・今何やってるんだろうね」
お「わかんない・・・○○高校行ったんだよなあ・・・」
さ「○○ってバカだったよねえ」
お「うん。しかも○○単願・・・」
さ「単願ってあったなあ・・・」
お「で、現ちゃんに「RHAPSODY」借りて、それはテープに落として毎日毎日聴いてたんだけど、でその頃レコード屋にはもう「PLEASE」と「BLUE」と「EPLP」と再発の「シングルマン」が並んでたんだけど、それで何買おうかすごい迷ってさ、一大決心じゃん、中学生がレコード買うのって」
さ「金ねえもんなあ」
お「「何買おうかな」って津田沼のイトーヨーカドーに3回行ってさあ、決まんないんだよ、何買ったらいいのか・・・結局「EPLP」買ったけどね、なんか良い曲がいっぱい入ってるって感じで・・・まだ貸しレコード屋とかなかったのかなあ?」
さ「いや、あったよ。俺みんな貸しレコード屋だったもん。でも船橋にしかなかったなあ。船橋の市役所のほう・・・わざわざ行ってたなあ」
お「兄貴がいっぱいレコード持ってたんだけど、RCは聴いてなかったんだよなあ・・・で「EPLP」買ったらさあ1曲目が「わかってもらえるさ」じゃん。いきなりイメージと違うんだよ、もう。これロックじゃねえじゃんってさ。あれちょっとね、冬眠期に入る前のシングルだからね」
さ「変な時期に出してるんだよね」
お「その次が「ステップ」じゃん。「ステップ」も俺が「RHAPSODY」で聴いたRCのイメージと全然違くてさあ、ダンスミュージックみたいで「何だよお」って、で3曲目が・・・・何だっけ?」
さ「「雨上がり」じゃねえの?」
お「いや、違う・・・あっ「雨上がり」だ。それでやっと「来た来た」ってさ。だからさあ「EPLP」の中で「RHAPSODY」に入ってるのって4曲しかないじゃん。「雨上がり」と「ボス」と「上を向いて歩こう」と「キモちE」と。だからさあ、他はなんかちょっと・・・「トランジスタラジオ」はまあ良かったんだけど、他はちょっとフォークっぽい感じなんだよね。だからさ「君が僕を知ってる」なんてそのあとはものすごい、いまだにRCの中で1番好きな曲くらいになるのにさあ、当時はまだよくわかんなかったんだよね」
さ「「RHAPSODY」のイメージが強かったんだ・・・でも俺はフォークっぽい方が好きだったなあ。「キモちE」とか好きじゃなかったなあ、「エネルギーOhエネルギー」とか「ブン・ブン・ブン」とか」
お「俺は大好きだけどねえ・・・俺が「EPLP」買って、現ちゃんが「PLEASE」買ったんだ。「PLEASE」聴いたら「PLEASE」のほうが、いきなり「ダーリンミシン」とかから始まって・・・「失敗したあ・・・」って・・・だから中1の時はRC一色だったなあ。サッカー部の練習終わって、家帰って、部屋行って、RCを聴くっていう・・・で、冬に「BLUE」が出てさあ、それはまた他の誰か・・・サカイノっていうもう1人仲のいいヤツが買って、みんなでまわして聴いて、で部屋で聴いてたらさあ、なんかでかい音で聴いてたらさあ、ちょっといい話なんだけど、母ちゃんが「うるさい!ヒトシ!」って、で「うるせえよ」なんて、やや反抗期だったからさあ、「何をこんな大きい音で聴いてるの!」って・・・」
さ「親に「うるせえよ」何て言わねえよなあ、普通」
お「まあまあ、それはいいとして・・・で、母ちゃんと言い争ってる時ちょうど「多摩蘭坂」が流れてきて「多摩蘭坂を登り切る手前の坂の途中の家を借りて住んでる」って、で「うるせえよ!くそババア」とか言い争ってたら母ちゃんが「あら?多摩蘭坂って昔住んでたのよ」って「え?なに?なにそれ?」って。俺が4才くらいまで国立に住んでたんだけどさあ、「多摩蘭坂」って清志郎も実際住んでたんだけど、その前に清志朗も国立出身っていうことは知ってて、で俺も国立出身でちょっと「すげえ俺、清志郎と同じところで生まれたんだ、すげえ」って思ってたんだけど、しかもその多摩蘭坂の近くに住んでたらしいんだよ、ウチも。当時借家で、6畳一間に家族4人。昭和43年くらいだからちょうど清志郎が高校卒業してRCでデビューした頃。だから清志郎と俺は時を同じくして国立に住んでたのよ、多摩蘭坂近くに」
さ「RCエリートだ」
お「そう。その辺でもう君とは全然違うんだよ」
さ「俺、だって中1なんてまだ「ザ・ベスト10」とか見てたからねえ。ロック文化がまだ入ってないんだよ」
お「で、「マジかよお」なんて言ってて、全然見たこともなかったんだけどさあ、赤ん坊の時の写真とか見るとさあ、確かにちょっと清志郎のなんか、「宝島」から出てた「愛しあってるかい」っていう本とかに出てたさあ、清志郎の子供の頃とか高校時代に国立に住んでた頃の写真とさあ、背景がちょっと似てるからさあ「おお!」とか思ってさあ・・・君、今日静かだねえ」
さ「全然しゃべることねえんだよなあ・・・(嫁に)多摩蘭坂行ったよなあ?」
嫁「うん」
お「え?デートで?」
さ「うん」
お「うわあ・・・」
嫁「なんか落書きとかいっぱい書いてあったよねえ」
お「でも俺は引越してから1回もそこに行ったことがないんだよ、いまだ。多摩蘭坂に」
さ「国立に住んでるミウラ君っていう友人に「多摩蘭坂ってどこにあるの?」って聞いて、駅から20分くらい歩いたかなあ」
お「何にもない坂なんでしょ?」
さ「うん。夏で暑くてねえ・・・上って「ああ」って下りてきただけ。5分もいなかった。一応ロック考古学者としてさ」
お「これは余談だけど、俺ずっと坂の近くに住んでるの。生まれた国立がその多摩蘭坂、千葉の実家も坂の途中にあるし野澤と住んでたメイプルコーポも坂の上だっただろ。一人暮しを始めた藤崎荘も坂の下。東京出てきて最初に住んだ馬込のアパートも坂の下・・・」
さ「坂エリートだ」
お「俺、坂エリートだから。坂にはちょっと思い入れがあるから。唯一、坂と関係ないのが薩本に乗っ取られたコーポがあった洗足だけ。坂が近くにないからすぐ出ちゃったんだよ。で、次の渋谷も坂の上だっただろ」
さ「今のところ坂ねえじゃん」
お「あそこもちょっとした緩やかな・・・」
さ「坂じゃねえだろ」
お「いや、坂なんだよ。坂を基本に家選んでっから、俺・・・」
嫁「・・・今聴いてるのがそのアルバムなの?」
お「うん。サックスがいるっていうのも、ちょっとカッコ良かったよなあ」
さ「いや、俺それダメだった」
お「「生活向上委員会」っていう梅津と・・・誰だっけ?もう一人」
さ「片山」
お「ああ片山さんね・・・略して「性行為」って」
さ「そうなの?」
お「そうだよ。そういう言葉遊びもちょっとカッコ良いなあとか思っちゃって・・・このあと人が増えて「ブルーデイホーンズ」っていうね」
さ「なんかさあ・・・」
お「まあ待て。その「ブルーデイホーンズ」っていうのもさ「ブルーデイ」っていうのは女の人の生理の日っていうのがあるわけよ。そういう言葉遊び」
さ「ああ・・・」
お「いいよ」
さ「今日はしゃべりてえんだなあ〜・・・俺はベスト10とか見ててさあ、そんでアナーキーくらいでさあロックなんて、で「い・け・な・い ルージュマジック」を見て、銀蠅聴いたりちょっと敏感な人はアナーキーを聴いてたヤンキーの人たちが一気にRCに流れていったっつう感じでさあ、銀蠅からアナーキーで振り落とされ、アナーキーからRCで振り落とされって感じだったんだよなあ、船橋中学では」
お「二宮中学では大多数が歌謡曲、ベスト10とか目覚めてない人たちはね、で音楽的に目覚めた人たちはRC派かオフコース派に分かれてたんだよ」
さ「ああーそっちもあったねえ」
お「ヤンキーも聴いてたもん。オフコース・・・同じ地域なのに中学によって違うもんだねえ。アナーキーとか俺は聴いてたけど、ホント聴いてるヤツなんていなかったんじゃねえの、ホント一握りしか。ホントのヤンキーだよ、不良の先輩とか」
さ「で、俺はちょうどMODSとかスターリンのほう行っちゃったから、温い感じがしたんだよなあ、RCって」
お「・・・当時レコードとか聴いたり「宝島」とか読んでたけど、なにせ動いてるRCっていうのが見れないわけじゃん」
さ「ああ」
お「清志郎が見たくて見たくてしょうがなくて。で、動いてる清志郎を初めてみたのが「い・け・な・い ルージュマジック」・・・夜ヒットで。バンドすごいよ、清志郎ボーカルで教授がキーボードでしょ、ほんでギターチャボ、矢野顕子もいたんだよ、確か」
さ「大根、去年北海道のライジングサンロックフェスで、矢野顕子&清志郎の「多摩蘭坂」で泣いてたからねえ」
お「まさかやるとは思わなかったからねえ」
さ「もう号涙(ゴウルイ)よ」
嫁「号泣ね」
さ「あ、号泣」
お「ゴウルイって・・・あん時、陽水も出てたからさあ、これはひょっとしたら清志郎&陽水で「帰れない二人」とかやってくれるんじゃないかと思ってさあ。でもその前にフジロックで同じ組み合わせで出ててやってないっつうから・・・あれ楽屋で話とかするのかなあ」
さ「するんじゃないの」
お「清志郎がRCでどん底時代に・・・同じプロダクションだったんだよね、陽水と。RCがホリプロで、そんで陽水が「氷の世界」っていう日本で初めて100万枚売ったアルバムの中に清志郎が2曲書いてんの。「帰れない二人」と「待ちぼうけ」。それで大貧乏時代の清志郎がそれだけで何百万っていう印税が入ってきて、それ家の戸棚に入れてたらしいね。当時福生に住んでて戸棚に現金置いといて、で出かけるときに鷲掴みにして出ていくっていうね、生活だったらしいよ・・・陽水ホリプロにいたらしいんだけど「氷の世界」がバカ売れして、ちょっとホリプロを裏切る形で独立しちゃったんだよね、スタッフ連れて。そんでそのとばっちりを清志郎が受けちゃって、でレコードとか出せなくなっちゃったんだよね」
さ「その印税で10年くらい暮らしてたんでしょ」
お「そうそうそう。ほとんどドラッグに注ぎ込んだらしいよ」
さ「今、写真集出てんのね、清志郎の」
お「出てる出てる。カッコイイよねえ。すっごいカッコイイ。冷静に見てあの辺が一番かっこいいんだろうねえ」
さ「そう思うと泉谷とか小っちぇえよなあ」
お「いいよ、「どっかの詐欺師が・・・」の話して」
さ「ああ・・・「PLEASE」に入ってる「あきれてものも言えない」つう曲があって、そん中に「どっかの詐欺師が」って詩があるんだけど、それは最初「どっかのビッコが」っていう詩で、そのビッコっていうのは泉谷のことなんだけど、なんか泉谷がRC大好きだったんだけど、全然RCが活躍しないから清志郎にもっとがんばってくれっていう意味も含めて「あいつはもう死んだ」みたいなこと言ってたら、清志郎んちにホントに香典が届いたんだって・・・こんなん、でもRCファンだったら誰でも知ってる話だよ」
お「いや、知らねえと思うよ」
さ「いや、だってなんかの本に書いてあったんだもん」
お「・・・そうそう、動いてる清志郎を初めて見たのがさあ、「夜ヒット」の前に、当時珍しかったんだけど「い・け・な・い ルージュマジック」ってPVがあったのよ。あの、教授と清志郎がキスしたりさあ・・・」
さ「一万円札がブワーってヤツだ」
お「そうそう。それが、津田沼のダイエーにレコード屋があったじゃん。あそこになんか知らないけどテレビモニターが置いてあって、そこに流れてたんだよね。ずーっと、ずーっとループして流れてんの。2時間くらい見てたもん、俺・・・津田沼のダイエーっていうのは二宮中の万引きのメッカだったんだけど・・・村山っていうすごい悪いヤツがいて、そいつステレオ万引きしてたもん、ホントに」
嫁「万引きじゃなくて持ち逃げ」
お「3回に分けて持って来たって言ってたもん。40万くらいのやつ。ミニコンポとかじゃないのよ、あんなカワイイのじゃなくて、デカイ本格的なステレオ・・・ホントよ・・・ダイエー出来たばっかの頃」
嫁「そんな大きいの盗めるんだったら何でも盗めるね」
さ「・・・1曲ずつやっていくんじゃなかったの?」
お「ん?もういいよ・・・」
さ「・・・そうなんだよなあ・・・」
お「じゃあ、戻って・・・当然さあ、その久保講堂でやったライブではさあ、アルバム「RHAPSODY」に収まる以上の曲をやっててさあ、あのDVDでこの間見てビックリしたのがさあ、あれね「スローバラード」やってんだけどさあ・・・」
さ「ああ!」
お「小川銀次のギターソロから始まるっていう、泣きのギターから入る・・・」
さ「そういう洋楽あるじゃん。何だっけ?えーと「ホテルカリフォルニア」みたいの」
お「ああ、イーグルスね」
さ「そうそう。それと一緒なんだよね。すごかったなあ、あれ」
お「カッコ悪いんだよ、小川銀次がまた。フュージョンだからね、あの人」
さ「あのDVDさ、「よォーこそ」の途中で切れてたよねえ?」
お「そうそう」
さ「あれ、小川銀次の前で切ってるんだろうねえ」
お「あん時まだ・・・ああそうか、チャボより小川銀次のほうがうまいからねえ、テクニック的には」
さ「当時の・・・そういう格好してたよなあ、小川銀次。変な帽子かぶってさあ」
お「ストレートじゃないベルボトムでもないジーンズはいてな・・・ホントカッコ悪いよ」
嫁「かわいそう」
お「何やってんだろ、小川銀次。名前はカッコ良いんだけどね」
さ「うん。司会とかやってたのにねえ」
お「え?そうだっけ?」
さ「やってなかった?音楽番組の。イカ天とか」
お「あれ伊藤銀次。意外とごっちゃになっちゃうんだよ」
さ「あっ・・・伊藤銀次か・・・俺ダブってるわ」
お「佐野元春のギター弾いてたからさあ、伊藤銀次。元春のアルバム出たときメンバーのところ見てたら「伊藤銀次」って書いてあって「あー小川銀次こっちでやってるんだ」って思ったもん。「伊藤」と「小川」ってこれまたどうでもいい名字同士で。「銀次」だけでつながっちゃって・・・そういえば今、フミヤさんの仕事やってるじゃん、フミヤバンドのドラムの「カースケ」さんってさあ、チャボバンドじゃん。で、この間初めてゆっくり話したんだけどさあ、昔、なんか「ピカピカ」っていうバンドでデビューして、81年位に。で初めてRCが武道館やったときの全国ツアーの前座でまわってたんだって」
さ「へえ〜」
お「いい話いっぱい聞いちゃった。「BLUE」に「チャンスは今夜」って曲入ってたじゃん。チャボのボーカルのでさあ、ツアー先で女ひっかけてヤリまくりみたいな。俺、中2の時それ聴いて「ぜってーこんなことねえな」と思ってたんだよ、RCが。そのこと聞いたらやっぱりその通りで、チャボと清志郎の妄想で、ライブ終わるとすぐホテル帰って反省会やってたんだって、みんなで」
さ「ホントにあんなんだったらそんな歌作んないよなあ」
お「だって無理あるもん、あれ。でも当時の清志郎はすごい近寄りがたかったって言ってたよ。チャボはなんかすごいいい人で、で、そのカースケさんのバンドもチャボの部屋に行くんだって、清志郎の部屋には行かないで。当時チャボすごいだらしなくて、だらしないっていうか、すんごいタバコ吸うんだって、ハイライトじゃん。タバコ吸うんだけど何でも灰皿なんだって、とりあえずお皿状になってるものは、コップとかさあ、石鹸の入れ物とかさあ」
さ「チャボが一番ちゃんとしてる感じするけどねえ」
お「・・・たぶん中2の秋くらいまではドップリだったねえ、RCは。そっからちょっと「めんたいロック」が入ってくるんだけど・・・俺はたぶんねえ「サマーツアー」とか、あれたぶん中2の夏で「い・け・な・い ルージュマジック」のあとで、ベスト10とか出てたじゃん。ベスト10でツバ吐くんだっけ・・・?夜ヒットがガムでベスト10がツバだ?あの辺まではものすごい好きだったんだけど、「BEAT POPS」が俺ん中でちょっといまいちで・・・」
さ「テクノ色が入ってるからね」
お「そうそう。まあ黄金時代っつうとあれだけど、一番イケイケだった頃の持ち歌は「BLUE」で全部出し尽くしちゃったんだよね・・・あの大ブレイクの中でコンサートツアーもやってて、新しいロンドンレコードっていうところに移って、でニューアルバムを作んなきゃいけないっていうプレッシャーん中で結構大変だったらしいよ。そういえば「BLUE」ってあれ一発取りなんだよ、全曲」
さ「あれカッコイイよなあ。今度のピーズも一発みたいで・・・」
お「ああ、一発なんだ、やっぱり」
さ「シンイチロウがインタビューで「「せぇの」でレコーディングしてるバンドなんて伝説でしか聞いたことがないからねえ」って言ってたよ」
お「俺が知ってるのはRCとロッカーズ」
さ「ああ、成田山?」
お「うん「WHO The ROCKERS」・・・」
さ「成田山でレコーディングなんて考えられねえよなあ」
お「違うよあれ、陣内が、ニューヨークドールズがレコーディングするときに教会の地下の倉庫みたいの借りて、一発録りでレコーディングしたっていうのを聞いて「これっちゃ、やっぱロックっちゃあ・・・」みたいな感じでスタッフに「俺らもそういうの探してくれっちゃ」って言ったら、見つけてきたのが成田山だった・・・」
さ「ホントのバカなんだなあ・・・」
お「「ちょっと違うけど、まあいいっちゃ」ってやったんだって。1日で終わったっていうからねえ・・・陣内その手の持ちネタ多くて面白いんだよね・・・MODSの時言おうと思ってたんだけど、福岡でストーンズのフィルムコンサートがあった時、陣内がなんかミック・ジャガーの動きを真似したくて、周りはみんなすごく盛り上がってるのに、陣内はなんか一生懸命ミック・ジャガーの動きをノートにメモしてたんだって。「右手がこう来たときは左手はこうで、腰の動きはこう」みたいなメモしてたら、4席隣に同じようにメモしてるヤツがいて、それが森ヤンだったんだって」
さ「おもしれえなあ・・・」
お「ちょっと作りっぽいんだけどさあ・・・」
さ「俺は、森ヤンがラジオかテレビか出てて、なんかロッカーズの話になって、「当時のロッカーズはどうだったんですか?」とか聞かれて、ロッカーズのデビューの時のキャッチコピーかなんかが「このスピードについてこれるか?」かなんかだったんだって。そんで森ヤンが「誰もついていけんで解散してしまった」って言ってて・・・その森ヤンが1番好きだなあ・・・って森ヤンに言おうと思ってるんだ」
お「・・・でも「BLUE」って一発録りとは思えないよねえ。ものすごい演奏技術だったんじゃない。テンションも一番良いんじゃないかなあ」
さ「俺「BLUE」が好きだなあ」
お「ジャケット、カッコイイしねえ」
さ「いらない曲1曲もねえなあ」
お「無いねえ。「ロックンロールショー」から始まって・・・「Johnny Blue」だっけ?」
さ「「Johnny Blue」」
お「ライブでやんないじゃん、絶対。やったって聞いたこと無いもんなあ。大好きだけどねえ、俺は」
さ「えーと、誰をモチーフにしてるんだっけ?」
お「えーと、ゴールデンカップスの「ルイズルイス加部」のことを歌ってるんですよ」
さ「それを民生が答えたんだっけ?」
お「民生がカルトQで答えた」
さ「すげえよなあ」
お「俺もテレビを見ながら一緒に答えた。カルトQのジャパニーズ・ポップス編。良い問題だなあと思ったけどね・・・RCの「「Johnny Blue」のモデルになっているアーチストは誰?」「ルイズルイス加部!!」って」
さ「後に冨士夫とやってたよね」
お「うん」
さ「・・・「あの娘のレター」とか当時こなかったけど、今すごくいいなあ・・・」
お「「よそ者」とかな」
さ「当時「まぼろし」が好きだったんだ」
お「「BLUE」って感じだよね」
さ「うん。こっちのほうが良いんじゃねえか?「BLUE」でいかねえか?」
お「いや「RHAPSODY」ですよ。全てが始まった感じ」
さ「ああやっぱ・・・(本を見ながら)「BLUE」が発売された当時「重すぎる」・・・って書いてあるねえ」
お「そうそうそう、俺は大好きだったけどねえ」
さ「シングルカットされた曲も無いんだってさ」
お「無い無い。サカイノ君っていうのが買ったんだけどさあ、買った次の日持って来て「あんま良くねえよこれ」って、「えーっ!」って俺はむちゃくちゃ良かったんだけど・・・そん時にさあ「シングルマン」が再発されてたじゃん。でさあ、その昔の、何年だっけ?最初リリースされたの?76年?」
さ「正解!」
お「とかにリリースされて廃盤になって、再発されたのが80年?81年?・・・に再発されてもうレコード屋に並んでてさあ、そういうフォーク時代のRCが出したLPっていうことでさ、あん時わかってたんだけど誰も手が出せないでさあ「あれはどうなんだろう?」ってさ・・・そん時にちょうど津田沼に黎光堂が出来たのかなあ、貸しレコード屋が。そんでそこに「シングルマン」があってさあ、出来たら真っ先に、忘れもしない俺1枚目に借りたもん。会員になってすぐ・・・でもわかんなかったねえ、全然。「大きな春子ちゃん」とか「えーっ???」って「これは廃盤になって当たり前だよ」って」
さ「・・・アレンジが「ホシカツ(星勝)」っていうの?」
お「ホシマサル」
さ「真心の「流れ星」をやった人ね」
お「ああ・・・拓郎のもやってるけどね・・・ああ、陽水の「氷の世界」の全曲アレンジ」
さ「それで倉持興奮しちゃったんだ」
お「まんまだったからなあ・・・「スローバラード」だけだったなあ・・・「甲州街道はもう秋なのさ」とか、まあ自分が国立出身っていうのもあったんだけどさ「甲州街道、知ってる知ってる」とかもあって、ちょっときたねえ。「夜の散歩をしないかね」とかまあ・・・」
さ「そうだねえ・・・「ヒッピーに捧ぐ」とか・・・」
お「「レコーディングマン」とか訳わかんなかったもんなあ」
さ「わけわかんねえよなあ・・・いまだにわけわかんねえよ・・・」
お「「ヒッピー」はそう「Tears of a Clown」に入ってて「ああ、いい曲だなあ」と思って・・・だからその年になんないとわかんないっていうのがあるんだよ」
さ「そうだねえ・・・そうなんだよ・・・そうなんだよっ!RCって!そうなんだよ、俺の中では。中学生の俺にはちょっとわかんなかったんだよ・・・「トランジスタラジオ」とか好きだったけど・・・」
お「それはあれですよ。今日はそれ言おうと思って来たんだけどさあ、やっぱり薩本君は陽の当たる所にいたっていうさあ・・・」
さ「またその話かよ!」
お「そうそう」
さ「またかよ!」
お「だからわかんなかったんだよ」
さ「でも「わかってもらえるさ」とかも好きだったよ・・・」
お「いや、俺はもう中1でしびれてたからねえ・・・だから人にわかってもらえるかどうかっていうのが前提にあるかどうかだよ・・・」
さ「・・・「EPLP」だと46分テープなんだけど、60分テープに「EPLP」プラス「BLUE」の「ガガガガガ」と「多摩蘭坂」となんかを入れて合体したテープを・・・」
お「オリジナルLPだ」
さ「そうそう。それを初めて「い・け・な・い ルージュマジック」の直後くらいに友達にもらったんだよ。だから、そこからだから・・・」
お「けど「ヒッピーに捧ぐ」なんかあれだよねえ、「Tears of a Clown」の映像見るとさあ、あんな清志郎は見たことないよねえ、もの凄い表情で絶叫してて、あんな感情剥き出しの清志郎観たことないよ、ほんとにすごいよあれ」
さ「「シングルマン」も中学の時に聴いてて「ヒッピー」も聴いてるはずなのにさあ、そん時にはさあ・・・」
お「全然」
さ「そう。「スローバラード」くらいしか入ってこないでさあ、通り過ぎちゃってんだよね。何で通り過ぎてんのか全然わかんねえよなあ・・・今思うとなあ」
お「「電車は走り出した、ブタ共を乗せて」とかわかんねえじゃん。電車に乗るようにならないと」
さ「電車で通学しないとわかんないんだよな」
・・・(薩本トイレへ)・・・
お「・・・今、薩本の悪口言ってたんだよ。こんな小中学生の頃から日向にいたヤツにはRCのことはわかんないって」
嫁「日向にいたんだ?」
お「そうそう、いまだにちょっとあるけどね、俺の中で・・・運動出来るしさあ、勉強出来るしさあ、なんかモテるしさあ・・・そんなヤツに理解して欲しくない」
嫁「大根君はアウトローだからね」
お「アウトローじゃなくて、日陰者だからさあ。こんな日向者にわかるわけがないんだよ」
さ「ひねくれてんなあ。34のオヤジがひねくれてどうすんのよ。こないだのエレカシん時もひねくれちゃってさあ・・・「君達にはわからない」とか言っちゃってさあ、「300人の俺の仲間達」とか言っちゃってさあ・・・実はエレカシあの続きもあるんだけどさあ・・・」
お「聞くに耐えない?」
さ「うん。大根と関君の意地の張り合いみたいんなっちゃって・・・」
嫁「俺が俺がだ」
さ「大根はすねちゃって、関君は「俺だってよお・・・」って永遠・・・しかし「甲州街道」って言葉とかなかなか使わないよね?」
お「・・・・・」
さ「あれ?大根食いつき悪いなあ?」
お「・・・いや、それはだからあれですよ、その・・・ロックじゃないんだよ。さっきちょっと言った話と結びつくんだけど、清志郎って元々フォークとかでさ、そっちが好きで音楽始めて、ファースト出した時に当時のディレクターが「君はきっとこういうの好きだよ、君の声はこういうのが良いよ」ってサム&デイブとかオーティスレディングとかさあ、黒人のリズム&ブルースの人達のレコードを貸してくれて、それで影響を受け始めたから」
さ「金田さん」
お「そうそう。んで、そのあとなんかライブハウスの「屋根裏」とかでブレイクした頃は、ストーンズっぽいことをやりたい、ロックのエンターテインメントの部分と、当時きてたパンクの爆発的な部分と、それと当時加入したチャボがブルースの要素を持って来たわけさ。それで色んな音楽の要素がゴチャマゼになってRCになったと。だからロックぽくないんだよね・・・「ゴチャマゼのスープ」ですよ、KENZI・・・その中で何がきわ立ってるかっていうと清志郎の言葉のセンスがきわ立ってるんですよ。こんな日本のバンドは絶対出て来ないし、出て来ようがないよね」
さ「誰のマネ、誰のマネってわかっちゃうバンドって一杯いるけど、RCのマネしてるヤツっていないもんなあ、いまだに」
お「宮本のボーカルスタイルくらいじゃない」
さ「あ、エレカシのトリビュート出るらしいぞ」
お「ええ!マジで?いいよ、されなくてまだ」
さ「買わねえよなあ」
お「RCトリビュートってあんの?」
さ「無いでしょう」
お「無理でしょう」
さ「無理でしょう・・・大根君だったら何の曲やるかなあ?・・・今、司会者的に良い質問じゃない?」
お「お前、今日は司会者だからな・・・え?俺が何やるの?」
さ「歌うの」
お「・・・うーん・・・「エリーゼのために」かな」
さ「すごいの持ってくるねえ・・・それは何故に?」
お「いや、良い歌なんだよ」
さ「「エリーゼのーためーにー」ってやつだよね?」
お「「腰動かしてもっともっとベイビー」な」
さ「ああ・・・「BEAT POPS」もこうやってみるとさあ、そんな聴いてないのに覚えてるねえ」
お「いや、今聴くとすげー良いんだよ。「Oh, Ya!」とかな」
さ「そうそう。そういう、・・・何で覚えてるんだろ。言葉が強いのかなあ・・・「腰動かしてもっともっとベイビー」だけで「あっ」てわかるもんなあ・・・」
お「・・・そのあとの「OK」で離れちゃったね、決定的に」
さ「いや俺、好きだったよ「OK」」
お「ハワイ録音でしょう」
さ「うん」
お「どん底だったらしいねえ」
さ「清志郎が体悪かったんでしょう?」
お「そうそう。で、曲が無いまま行っちゃったんだよ、ハワイに。ほとんど向こうで作ってたって」
さ「ああ、それで「お墓」と「指輪をはめたい」という過去の曲が入ってるんだ」
お「そうそう・・・」
・・・(大根トイレへ)・・・
さ「・・・はあー・・・疲れた・・・」
・・・(大根戻る)・・・
お「「OK」いつ?84年?85年?」
さ「83年」
お「ああ、そうなんだ。中3時じゃん」
さ「でも「BEAT POPS」から1年たってないんだよ」
お「ふーん・・・「ドカドカうるさいR&Rバンド」・・・そんくらいだなあ・・・」
さ「俺は「Oh Baby」にやられたなあ」
お「「ベイビー逃げるんだ」って入ってる?」
さ「入ってない」
お「あれはシングルだけか・・・あれ聴いたときちょっとイヤな予感がしたんだよなあ」
さ「ちょうど「OK」の前くらい?」
お「うん、三菱ミラージュのCMソングで、なんか違うなあと」
さ「「Oh Baby」好きじゃなかった?」
お「・・・(無視)・・・中2の冬のクリスマスイブに、初めて行ったロックコンサートがRCだったのよ」
さ「ああ、親とかが会議しちゃったやつな」
お「ええ?」
さ「あれ?違ったっけ?」
お「ええ?」
さ「あれ?・・・角田だったかなあ・・・子供達だけでコンサート行くって親が騒いじゃって・・・」
お「それ俺じゃねえぞ」
さ「じゃあ角田だ」
お「俺、現ちゃんと行ったんだもん。すげー楽しかった。2階のすげー悪い席で・・・そん時も現ちゃんはリンコファッションで、母ちゃんのスカーフとかしちゃって。」
さ「・・・「OK」も今、聴くといいんだけどなあ・・・」
お「そうそう、だからそれこそその年になってわかるってやつですよ」
さ「僕の友達の三浦君は「Oh Baby」の「一緒に暮らそう僕と二人で」という詩で同棲を始めちゃったんだって」
お「ものすごい単純な人なんだねえ」
さ「俺の中のロックヒーロー」
お「三浦君?」
さ「うん。ハルと並ぶくらい・・・」
お「・・・俺「OK」で離れてそのあときたの「COVERS」ぐらい離れてるもん。「COVERS」出た時はさあ、野澤君と暮らしてた頃で東芝EMIから発売禁止にされちゃったんだよ。原発反対の歌とかあって。それは高井麻巳子と一緒に清志郎が歌ってるんだけど。確か新聞広告があってさあ、「RCサクセションの新アルバムは素晴らしすぎて発売できません」って。「なんじゃそりゃ!?」って久しぶりにRCに食いついたんだよ。結局すぐ古巣のキティから発売されて。で、聴いたらメチャクチャよかったのよ。うん、「COVERS」まで離れてたねえ」
さ「そうだね、みんな離れてるよ、「FEEL SO BAD」とか「ハートのエース」とか」
お「聴いたけど・・・「Tears of a Clown」とか、そん時はなんかわかんなかった・・・昔の曲いっぱいやってて良いなあと思ったけど、「SKY PILOT」とか入れなくていいなあと思ったくらい・・・今聴くとむちゃくちゃ良いね「Tears of a Clown」」
さ「ライブ版はさあ「KING OF LIVE」をすごく売り出そうとしてたと思うんだよなあ、「OK」のあとに。あれは良くなかったなあ・・・」
お「たぶん日本のロック界の大御所みたいなポジションだったんだよなあ・・・」
さ「持ってるんだけど、全然聴かないね」
お「全然良くないでしょ」
さ「同じライブアルバムでも「Tears of a Clown」ばっか聴くもんねえ」
お「「Tears of a Clown」っていつ?」
さ「86年」
お「そうなんだ。高校ん時だ。そん時、妙なロックのかぶれ方してたからさあ、ジャケット見た瞬間に「ああ、ジャニス・ジョプリンの「チープスリル」のパクリだ」と思ってさあ、なんかちょっと軽く見てた感じあんのよ・・・」
さ「・・・んで次「Marvy」な」
お「いやいや、だからその辺全く語れないんだよ」
さ「ちょうどあのエレカシ初めて見た時の・・・」
・・・(大根電話)・・・
さ「じゃあ一人で語ってみるか・・・「ツルツル」とかさあ、ちょうど原発の時でさあ・・・・・無理だ・・・」
・・・(大根電話終了)・・・
お「ホント、だからどん底だったらしいね、その頃のRCは」
さ「「Marvy」とか良い曲いっぱいあんのに、あんましなのはバンドの状態が良くないからなんだろうねえ」
お「「Tears of a Clown」の時とか野音で3日間とかやったんでしょう。そん時1回結束したらしいよ・・・ああ、あと、さっき、ちょっと言い忘れたんだけどジャパニーズロック界いい話として、その80年とか81年とかRCが野音でよくやってる頃、時を同じくしてBOφWYがちょうどデビューした頃でアルバムが全然売れなくて、メンバーも固定しなくて、氷室はもう群馬に帰ろうとしてた時に、「明日帰ろう」って思ったまさにその日にRCの野音見に行って「やんなきゃダメだ」って田舎に帰るのをとどまったっていう・・・」
さ「・・・あんまこねえ話だな・・・BAKU-TICK文化だからな所詮・・・でもわかるよねえ・・・まあ、そんで「COVERS」を出したと」
お「そうそう」
さ「・・・これ以降、良いアルバムってあるかなあ・・・」
お「だから「COVERS」で原点回帰に目覚めちゃったんだよね、清志郎が。結構シンプルなロックンロールで。そこでほとんどキーボードがいらなくなっちゃって、そこでG2がヘソ曲げちゃったらしいよ」
さ「すごいメンバーだからね、これね」
お「高井麻巳子」
さ「高井麻巳子・・・三浦友和、冨士夫、泉谷しげる、坂本冬美、山下洋輔、ちわきまゆみ・・・ジョニーサンダース」
お「俺、だってだから20歳ん時「ソールドアウト」入って、秋元さんが結婚してたからさあ、高井麻巳子と。初めて会ったとき清志郎の話したもん・・・「好きなんすよお」って・・・そしたら「Tears of a Clown」のTシャツくれた」
さ「へえ〜、もう持ってないの?俺着るよ」
お「どっかいっちゃった」
さ「・・・で「コブラの悩み」を経て「Baby a Go Go」・・・「Baby a Go Go」は良いよねえ」
お「すごい良い・・・「COVERS」から・・・「COVERS」以来RCがきたのはそれが最後。最後っていうかそれで終わっちゃうんだけど・・・すごい良いなあと思った。「I LIKE YOU」とか。「空がまた暗くなる」ね、すごいよねえ。「空がまた暗くなる」って歌えないよねえ」
さ「すごい」
お「「大人だろ」ってね」
さ「そう。「勇気を出せよ」って言うんだよ」
嫁「パチンコで負けるといつも歌ってるよね」
お「正しくねえよ、それ・・・「Baby a Go Go」は大好き。もう耕ちゃんもG2もいなくて・・・ラストアルバムって感じするよねえ」
さ「・・・一応、耕ちゃん叩いてるねえ」
お「全部じゃないでしょ?」
さ「3と9だけ・・・G2はいないねえ」
お「G2そのあと、あれになっちゃったんだよな。スキーのインストラクターになっちゃったんだよな」
さ「そういうルックスしてたからなあ・・・レッグウォーマーを日本で初めてしたロッカーじゃない」
お「すんごい太っちゃったんだって。一昨年くらいのPUFFYのツアーで弾いてんだよなあ・・・」
さ「・・・んで、そのまま帰ってきてねえんじゃねえかなあ・・・清志郎は。どう?大根君の中で帰ってきた?」
お「別格だからねえ・・・あの、チャボのソロは良いと思ったんだよ。87年くらいだっけ?「BOOK」って」
さ「85年」
お「85年なんだ・・・「BOOK」って全曲いいんじゃない?」
さ「俺、「絵」のほうがいいけどね」
お「それは日向者の理論だな」
さ「・・・「絵」以降チャボは・・・」
お「あれ?もう食いついて来ねえや」
さ「・・・「絵」はよかったけど「DADA」はダメだったなあ・・・ダイマーズはどうだったの?大根君の中で?」
お「その辺、全然こなかったなあ・・・この間「BUZZ」のジョーストラマー追悼特集みたいの読んでてさあ、ジョーストラマーって名言がいっぱいあるんだけどさあ、その中ですごいなあと思ったのが「一度時代を作ったヤツはもう2度と作っちゃいけないんだ」って、その自分へのことでもあるんだけどさあ、絶対それ以上のものは作れないんだっていう・・・「RHAPSODY」なんじゃねえの?やっぱ一番カッコ良かったのは・・・「Tears of a Clown」とか良いけどさあ、でも熟練ってカンジじゃん、あれは」
さ「ソロとか全然聴いてないでしょう?」
お「いや聴いてるよ「RAZOR SHARP」聴いたよ。「RAZOR SHARP」は好きだよ」
さ「もっとあとのさ「GROOVINユ TIME」とかさ」
お「「Memphis」とか?」
さ「もっとあとの「Rainbow Cafe」とかさ」
お「聴いてないねえ・・・十字架シリーズは聴いたよ。あとラフィータフィーは良いなあと思った・・・」
さ「で、清志郎の最終地点が「LOVE JETS」な」
お「宇宙人バンド・・・」
・ ・・MD終了・・・
次回はKENZI「ブラボージョニーは今夜もハッピーエンド」。